鑑定師・青禾の後ろ姿
※写真はイメージです

三才堂の鑑定師

祖父のノートから、
この命式表まで。

青禾せいか / 中国出身

三才堂の鑑定を担当しています。命式の計算はサイトが、読み解きは鑑定師が、日本語の確認は金田茂樹が受け持っています。

祖父は若いころ海を渡り、台湾で八字を学びました。
その読み方を、子どものころから祖父の机の横で教わってきました。

祖父

海を渡った祖父

祖父は若いころ、海を渡って台湾へ行きました。一九四九年の前後、同じように故郷を離れた人がたくさんいた時代です。

台湾で暮らすうちに、祖父は八字を読む師に出会い、古い本の読み方を一から教わりました。そのころ大陸では、占いの本を手元に置くことさえはばかられる時代が続き、多くの本と教え手が失われていきました。

一九八〇年代の終わりに、台湾から故郷を訪ねられるようになりました。祖父が生まれた町へ戻ったのは、海を渡ってから四十年近くたってからです。鞄の中には、師から受けた読み方のノートと、大陸では手に入らなくなっていた本の写しが入っていました。

町

赤い紙の八字

祖父が戻った町には、縁談が持ち上がると、男女それぞれの生年月日と生まれた時刻を干支の八文字にして赤い紙に書き、家と家とで取り交わす習わしが残っていました。

その紙を持って、近所の人がよく祖父を訪ねてきました。台湾帰りで古い本が読める人だと知られていて、頼まれると八字を見ていました。子どものころは、その横に座って、大人たちの顔を眺めているのが好きでした。

忘れられない縁談があります。男性は子年、女性は午年の生まれでした。子と午は冲(ちゅう)、ぶつかり合う組み合わせだから、この縁はよくない。どこかでそう言われた両家が、祖父のところへ確かめに来ました。

祖父は、年の干支だけでは決まらない、二人の命式を全部並べて見るものだと話しました。それでも、話は流れました。帰っていく娘さんの顔を、いまも覚えています。

祖父の机

原典を一行ずつ

物心ついたころから、祖父の机の横が勉強の場所でした。十干と十二支を覚え、『子平真詮(しへいしんせん)』を祖父のノートと突き合わせながら一行ずつ読む。分からないところは、祖父が台湾で師から聞いた話をしてくれました。

祖父がよく言っていたのは、怖い一句ほど、もとの文脈から切り離されて広まっている、ということです。«傷官見官(しょうかんけんかん)は災いが多い» という有名な言葉も、『滴天髄(てきてんずい)』では «見極めが難しい» という意味で書かれています。

清の時代の『命理約言(めいりやくげん)』には、命式を読む前に、まず家族のことやこれまでの歩みを尋ねよ、という意味の一節があります。祖父はこれを一番の決まりにしていました。いまの鑑定でも同じです。

三才堂が «台湾伝来» と書いているのは、
この祖父のノートから続いている読み方のことです。

工場

工場からの頼みごと

祖父が年を取ってからは、八字を清書するのはこちらの役目になっていました。

ある日、隣の町で工場をしている社長さんが訪ねてきました。日本の取引先と、新しく契約を結ぶことになった。契約の日取りを見てほしい、と言います。中国では、大事な取引の日を選んでもらう習わしがいまも残っています。

社長さんは、その日本の方の生年月日と生まれた時刻を書いた紙も持ってきていました。祖父は日取りを選び、それから «せっかくだから、この方の命式も書いて差し上げなさい» と言いました。

祖父が読み、こちらが紙に書き写しました。四本の柱と、十年ごとの大運の区切り。いちばん下に、清書した者として «青禾» と名前を入れました。

その日本の方が、金田茂樹さんです。

一枚の紙

一枚の紙が戻ってくる

しばらくたって、あの工場の社長さんから連絡がありました。日本の金田さんが、あの命式を書いた人と話したがっている、と言います。

まもなく、金田さんからメッセージが届きました。翻訳ソフトを通した、少しぎこちない中国語でした。

以前、工場の社長さんを通して
命式を書いていただいた金田です。

写真が一枚、添えてありました。あのとき書き写した紙です。折り目のついたまま、透明なファイルに入っていました。

金田さんは、こう続けていました。紙を受け取ったとき、大運の区切りの一つが、自分が四十歳で畑違いの仕事に移った時期と同じところにあるのに気づいた。当たったとは思わなかった。偶然だろうと思った。ただ、なぜそう見えるのかは、ずっと知りたかった。『子平真詮』を読み始めたが、冒頭の一句から先へ進めない。

その一句は、«八字の用神(ようじん)は、もっぱら月令(げつれい)に求める»。

祖父は、その前の年に亡くなっていました。答えは、祖父のノートを開きながら書きました。

先生

原文を読める人

答えを返すと、また次の質問が届きました。それが何か月も続きました。質問はいつも具体的で、«なぜそう読むのか»«どこにそう書いてあるのか» を毎回たずねてくる方でした。

しばらくして、金田さんから «先生と呼ばせてほしい» と言われました。ずっと年上の方です。最初はお断りしました。

金田さんの返事は短いものでした。

原文を読める人が先生です。

はじめて画面越しに話した日、金田さんはあの紙をカメラの前にかざしました。祖父の読んだ命式が、海を越えて、また目の前に戻ってきたような気がしました。

それから、週に一度の勉強会が始まりました。金田さんが日本語で質問を書き、こちらが中国語で答え、金田さんがそれを日本語のノートにまとめていく。祖父のノートが、こうしてもう一度、別の言葉のノートになりました。それが、のちに三才堂の講座の土台になっています。

道具

計算は道具に、読み方は人に

勉強会を続けるうちに、金田さんは命式を出す道具を作り始めました。もとはプログラムを書く仕事をしていた方です。節入りの時刻、地方時の補正。祖父が手で計算していたところを、一つずつ道具に置き換えていきました。

できあがった道具には、祖父のノートに残っていた命式を、片端から入れてみました。手で書いた答えと、道具が出した答えを、一枚ずつ突き合わせる作業です。食い違いが出るたびに、二人でどちらが正しいかを原典に戻って確かめました。

すべてが合ったとき、金田さんが言いました。«計算は道具に任せましょう。読み方は、先生に»。三才堂は、そこから始まりました。

ただ、計算で出せるのはここまでです。どの字がこの命式を助けているのか、いまの悩みとどう重なるのか。そこは、その方のこれまでの歩みをうかがいながら、人が読むしかありません。

いま

鑑定で大切にしていること

  1. まず、これまでの出来事をうかがいます。命式と照らし合わせて、読み方を確かめてから先へ進みます。
  2. 不安をあおる言い方はしません。開運グッズをおすすめすることもありません。年の干支が合わないといった一言で、大事なことを決めなくていいと考えています。
  3. 言い切りはしません。命式が示すのは流れの向きです。どう動くかを決めるのは、ご本人です。

«信じるより、確かめる»。金田さんと最初にやりとりしたころから、二人で大事にしている言葉です。

私の先生は、私よりずっと若い。それでも先生です。

金田茂樹 / 三才堂 開発・計算検証